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JR貨物
新興線
街中に枝を広げた貨物線も今は幹一本残るのみ
〈'99年調査〉
(この記事は当時のものです。新興線は既に全廃されています。)

【3日ぶりにやってきた機関車】


戦前戦後、東京湾の埋立地を中心に多くの工業地帯やコンビナートが形成され、これらの物資輸送のかなめとして鉄道会社はあらゆる工場に引込み線を提供していた。しかし近年産業構造の変化やモータリゼーションなどにより契約を存続させる企業が減少、多くの専用線が廃止となった。特に工場の多い川崎・横浜は湾岸部での廃線が目立っている。今回着目した神奈川・新興線も、過去の地図をながめるとものすごい枝ぶりを見ることができる。いくつかの地図をもとに路線を描いてみたので参考にされたい。現地を散策してみると廃線跡を確認できるもののほうが少ないようで、特に首都高ぞいに延びていた路線は道路のどちら側を走っていたのかすら見当がつかない。首都高建設工事の下敷きとなり消えてしまったのであろうか。そして今日でも廃止の動きは止まっていない。99年当時の供給は恵比寿町の昭和電工、および終点の内外輸送であったが、その1〜2年後不意に昭和電工側が廃止となり、ついに3日に1度の内外輸送のみとなった。JR側の採算性についても疑問であることもあり、当分新興線から目が離せそうにない。


■黒線−運行線
■赤線−廃線跡
■ピンク−痕跡すらない廃線、又は立入れず確認不能の線
かつて横浜ベイブリッジが完成したころ、夜景スポットを求めて車を走らせた。レア線めぐりを始めたとき、この辺で目撃した朽ちかけたレールを思い出し、再度見に行くことにした。3時ころ到着してしばらく散策、レールを見るとかろうじて往来はあるようで、カメラ片手に待機。日暮れまで待てばひょっとしたら…などと期待するも結局列車は来ずに帰宅となった。しかしこの程度の「待ち」がいかに無謀であったかはのちのち思い知ることとなる。
廃線ならともかく、運行線であるならばレールだけの撮影で満足できるはずがない。せっかくのプー太郎タイムを活かして、事あるごとに貨車の動静をチェックした。するとどうやら来ない日が多く、来るときは午前中だということがわかってきた。そんなある朝、ついに開かずの鉄道門が開いたのである!



【ビクター正門前】

守屋町の新興駅を出発、ビクターの踏切を通過。トラックの出入りは頻繁であるが遮断機はない。ここはプロジェクトX・VHSの巻(??)で登場したビクター本社である。





【恵比寿町】

恵比寿町のコーナーを曲がるとあとは直線をゆくのみ。この辺は恵比寿町・宝町・大黒町など縁起のよさそうな町名が続く。線路左の建物はこの近所唯一の商店のようだ。





【ありし日の大動脈】

やがて首都高大黒線にたどり着く。ここで幹線道路を渡ろうとして力尽きたかのようなレールを発見。反対側にもやや名残が残っている。この先の路線は一体いつまで存在していたのだろうか。踏切も大きなものであったろう。当時の状況ご存知の方、ぜひご一報お願いいたします。
〈たれこみ情報〉





【大黒町の踏切】

写真後方はターミナルになっており、新興駅というらしい。バス停の名前も新興駅前となっている。しかし本線側の駅も新興駅というので紛らわしい。機関車は踏切前で一旦停車、作業員が小屋の中に入り踏切を鳴らす。





【終点・内外輸送】

踏切を渡ると鉄道門があり終点である。メルシャンなどの看板もありアルコール類を運んでいるようだが、運ぶ量は多くはなく3〜4両。1両のときもある。ここは食肉市場があるためかおびただしい数のカラスが飛んでおり、留置してあるタンク車も糞まみれになってしまう。内外輸送のホームページにはここの航空写真が載っているのでそちらも見てみるとおもしろい。





【日産前】

再び本線に向かって走り出す。この周辺は日産の工場があちこちにある。ここ横浜工場は経営再建のため閉鎖と聞いたがあれからどうなったのだろう。驚くことに、将来この新興線の土地に通勤電車を走らせる構想があると聞いた。どうやら新興線および鶴見線を統廃合、工場街を貫いて京浜東北線のバイパスにしようというものらしい。工場跡地は再開発され、新興駅は旅客駅となり、数十年後ここの景色はまったく違うものとなっているのかもしれない。





【恵比寿町の踏切】

この踏切も交通量が多い。左側に昭和電工方面への分岐があるが、そこへの進入もスイッチバック入線のため踏切が閉じる。





【本線新興駅】

再びビクター前を通って本線に帰還。中央の建物はJRのビルで「新興駅」と書いてある。





【昭和電工に進入する機関車】

ここよりすでに廃止となった恵比寿町部分である。こちらもおよそ3日に1度、3時半位に運行されていた。内外輸送との同時入替は行われなかったようだ。警報機はなく作業員が交通を遮断、列車はけたたましい警笛とともに路面電車のようなレールを滑り来る。周囲は工業地帯にありがちな塩素系の刺激臭がただよい、長時間いるのはちょっとつらい。





【入替作業】

ここにはフォークリフトを改造したようなスイッチャー(※)があり、中央のタンク状の建造物の下に貨車をくぐらせて何かを注入していたようだ。貨車には「アルミナ」と書いてあるため金属関係のものかも知れない。現在はこのレールも撤去され貨車の代わりにトレーラーが下をくぐる。写真左端の遮断棒は作業員がひょいと降ろすだけの原始的なもの。こんなものにいちいち感動しているのは私だけであろうか。
(※)貨車を移動・整理するやや小さな機関車。





【不思議な踏切】

さらに進むと再びナナメ踏切。横断するなり即終点!変なモノ特集にでも登場しそうな踏切であるが、しかし塀の段差を見ればかつてこの続きが存在していたことが想像できるだろう。また実際、スイッチバックのために必要不可欠な現役踏切でもあった。




【あとがき】

「いつか見れなくなるかもしれないから撮らなくては」…そんな考えで列車を追いかけていたが、その日の到来は予想以上に早かった。ある程度の長さをもった東京近郊の路線では最もレアな存在だったかもしれない。そのため撮影には骨が折れた。どちらも3日に1度と書いたが実際には正確ではなく、これが困難のもとであり、空振りも多かった。注文がきたら行く「出前型」運行なのかもしれない。当時内外輸送への入替は10時ころであったが現在も同じかどうかわからない。土日の運行も未確認。新興線が廃止になったという噂は聞かないが、現地のレールも長いこと確認していない。もしあなたがヒマでクレイジーな男ならこんな路線に挑戦してみるのも悪くはないだろう。(^-^;)ゞ

(この記事は当時のものです。新興線は既に全廃されています。)

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